シンクロニシティ体験頻発後、卒業を決意した

2020年2月2日〜2月22日に行ったアジア旅での「2のゾロ目」のシンクロニシティ。

「22」に導かれたバリ島の旅

2020年3月のセドナ旅を通してのシンクロニシティ。

セドナのカセドラルロックで結婚式に遭遇!

そしてアジア旅から続いていた「2」のゾロ目のシンクロはセドナ最終日にも起こりました。

22時22分にそれは始まった

短期間に連続して起こった、これら、たくさんのシンクロニシティを通じて、「1分1秒、出来事は起こる」と確信してから、「目の前にある、この世界すべて」を信頼できるようになりました。

それまでは、自分の周りで何かあった時、「自分軸」みたいなものが必要なのだ、と思っていました。

そして「ブレない自分軸を強化しなければいけない」と考えていました。

でも、…違っていた。

シンクロニシティは「自分の意思の力」で起こっているわけではありませんでした。

人間が何も考えず呼吸をするのと同じように、自然に起こってくるものだったんです。

だから1分1秒、タイミングぴったりにそれは起こる。

シンクロニシティは「共時性」と呼ばれ、よく「意味のある偶然」と言われるけれど…。

この連続して起こってきたシンクロニシティの体験で、わたしは「意味のある必然」ではないか、と一度勘違いをしてしまいました。

意味があるもの同士をつなぎ合わせていくのは。とても楽しかった。

「なんでもない日常」「なんでもない数字」が「意味を持っている。メッセージを持っている」と思うと、見るもの、聞くもの、出会うものすべてが「運命的」に思えて、毎日が楽しくて、心が踊った。

そして、「もっともっと」とそのシンクロニシティを追求したくなって…。

いつの間にか、それに熱狂してしまっていました。

でも、ふと、気づいた。

これは「意味のない必然」なのだ、と。

元々はただの出来事、ただの数字、ただの色…であり、個々に意味はない。

でも「意味付け」をそこに施すと…、そこから「物語」ができてくる。

それがとても楽しかったのだけれど…。

ある日、ものごとに意味をつければつけるほど、「それ」しか見えなくなってしまっている自分に気づいた。

例えば、数字に意識が向きだすと…、電話番号、部屋番号、通り過ぎり車の番号…あらゆる番号を目で追う自分に気がつく。

「これを見るのもきっと意味あるに違いない」「これも何かの前兆だ」と、それこそ、窓辺をひらひらと通り過ぎてゆく蝶々を見ても、ただの黄色を見ても…、何もかもに「特別な意味」をついつい見出そうとする自分。

「それら」しか見えていないから、「今ここ」の感覚もない。

次から次へと「未来」を期待する「物語」が生まれてくる。

そんな繰り返しをしていると、ズブズブと底なし沼にハマるかのように、「自分の物語」の本の中にハマりこみ、だんだんと身動きが取れなくなっていく感覚を感じました。

完全に「物語」という幻想の虜になってしまっていました。

シンクロニシティはあります。

シンクロニシティは”目の前に起こっている「この世界」を信頼できるわたし”に成長させてくれました。

でも、シンクロニシティに熱狂するのは卒業することにしました。

いつの間にか「我を忘れて」いました。

わたしは、もう2度と来ない「ここ」を感じたいんです。

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