寺田屋事件と池田屋事件 跡地に見るアイデアとたくましさ

十数年ぶりに京都に来たので、パートナーと京都観光してきました。

パートナーたっての希望で、行ってきたのは、「寺田屋事件跡」と「池田屋事件跡」

「それどこ?!」と突っ込まれそうですが…。(わたしも突っ込みました)

寺田屋事件のほうは坂本龍馬。

池田屋事件のほうは新撰組。

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寺田屋と池田屋にみる「たくましさ」の理由

一見、まったく関連性のないこのふたつの事件の跡地をめぐることになったのは、ズバリ、パートナーが司馬遼太郎さんの作品が好きだから。

司馬遼太郎さんの作品「国盗り物語」の舞台である、わたしの実家のある岐阜も、彼にとってはすごく魅力のある土地のようなのですが、

京都もまた、「竜馬がゆく」の坂本龍馬、「燃えよ剣」の新撰組など、彼にとっては目がキラキラと輝く場所らしい。

ということで、外国人観光客に一番人気の「伏見稲荷」にも立ち寄らず、京阪「伏見桃山駅」という、あまり観光客の降りない駅へ。

ちなみに、この駅の近くには先日、写経しに行った雲龍院には121代天皇までのお墓があったのですが、122代目天皇である明治天皇のお墓「伏見桃山陵」が、こちらにあります。

悟りの窓 京都の雲龍院で後水尾天皇寄進の机で写経をする贅沢

「仕事帰りで時間がないから、伏見桃山陵はまた今度ね」(今度があるのかどうかは不明)

司馬遼太郎ファンのパートナーは、一目散に「坂本龍馬通り商店街」へ。

なかなか風情のある商店街です。

その商店街を抜けてしばらくすると、その「寺田屋」はありました。

寺田屋事件とは、伏見奉行所の役人に坂本竜馬が襲撃された事件のこと。

「史跡 寺田屋」という碑が建っています。

「おお!これが寺田屋かぁ!」

その碑の隣に、「旅籠 寺田屋」に気づき、嬉々として写真を撮るパートナー。

この「寺田屋」では、「弾痕」「刀傷」や「お龍が入っていた風呂」などの展示が見られるようなのですが、わたしたちが到着した時間は、もう閉館時間後。

残念ながら、見ることができませんでした。

がっ!

実は、この「寺田屋」に驚くべき事実が!!

「寺田屋」の展示では、当時そのままの建物であるかのような説明がされている。

しかしながら、現在の寺田屋の建物は明治38年(1905年)に登記されており、特に湯殿がある部分は明治41年(1908年。お龍はその2年前に病没)に増築登記がなされている。〜Wikipedia~

ええ〜っ!!嘘ってこと?

寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し、現在の建物はその後再建したものである。〜京都観光Navi〜

大正に寺田屋は寺田家の所有ではなくなっていて、昭和30年代に自称「第14代寺田屋伊助」さんが営業を始めたものだそうです。

しかも、京都府が、「現在の寺田屋の建物は、当時の敷地の西隣に建てられたものである」と公式に調査結果を発表しています。

つまりは、自称「第14代寺田屋伊助」さんが「史跡 寺田屋跡」という碑が建っている隣の家を買取り、その立地と古い建物を活かして、「旅籠 寺田屋」をつくりあげた、ということ。

厳密に言えば、この「寺田屋」は「当時の現場そのまま」風を感じられる「坂本龍馬博物館」といったようなイメージでしょうか。

本物でなくても、デカデカと表札に「寺田屋 坂本龍馬」と、臆することなく書いてアピールしているあたり…。

ここ、坂本龍馬の家じゃないし!

ただ泊まっただけだし。

でも、まるで住んでいたかのような印象を与えてしまう、アイデアがすごい。

すごい資産運用法だなぁ、なんて感心してしまう。

自称「第14代寺田屋伊助」さんが、坂本龍馬好きだったのか?歴史的な史跡を残そうと思ったのか?街の発展を願ったのか?はたまた商売魂なのか?

その動機はわかりませんが、たくましさを感じます。

当時の「本物の建物」ではないけれど、坂本龍馬ファンならば十分に雰囲気は味わえる場所だと思います。

そして、その後、「池田屋」を見るべく京阪電車に乗って「三条」へ移動。

1864年(元治1)6月、池田屋騒動のあった場所へ。

現在は、繁華街のど真ん中にある池田屋。

長州・土州など諸藩の討幕派の会合中に新撰組に急襲された事件の跡地は、居酒屋「はなの舞」になっていました。

事件後、池田屋の主人は討幕派をかくまったとして投獄されて獄死。

その後、池田屋は人手に渡り、別の経営者が佐々木旅館として営業していましたが廃業。

1960年頃までは当時の建物も遺っていましたが、その後取り壊され、跡地はテナントビルやパチンコ屋など転々。

2009年に、新選組をテーマにした店内には8メートルもある大階段をつくり、現在の「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」が開業。

居酒屋の外には「池田屋騒動」の説明が書かれた看板もありました。

たとえば、ここがパチンコ屋さんや雑居ビルだったりすると、「池田屋」と書かれていても、イメージがマッチしなくて、せっかくその場にある歴史的背景を活かしきれず「猫に小判」な感じ。

でも、居酒屋「はなの舞」の和食なイメージと、町屋風建物と新撰組という幕末のイメージとは、違和感なく馴染む気がします。

「池田屋の解説看板」を見ても、「そうかぁ」と、すんなりと気持ちに入ってくる。

居酒屋とは、すごいアイデアだなぁ!と。

そういう意味では、歴史的な「池田屋騒動跡」も居酒屋「はなの舞」も、お互いにイメージアップできて、Win&Win。

京都は大阪のお隣なので、やっぱり、商魂たくましいのだろうか。

そんなことを思いながら、「寺田屋事件跡と池田屋事件跡の二箇所をめぐる、司馬遼太郎さん好きな歴史小説の旅」(←そんなテーマだっけ?!)な1日でした。

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