禅寺的食事法のチャンス?!口内炎が痛すぎておちょぼ口でしか食べられない

痛い。

左の舌の根元の下と上。左の唇の近くと、炎症が花盛りで、おかげで食べ物を口に含むだけで痛くて、咀嚼作業&飲み込み作業がかなり辛い。

数回口に運ぶと疲れて、苦痛になってくるのに、お腹が空く…。(どこまで貪欲なのかしら)

「ああ、一体こんな時、何を食べたらいいんだろ?」と思いながら、ふらりと本屋へ。

すると、真っ先に目に飛び込んできたのがこちらの本。

「心が疲れたらお粥を食べなさい。 豊かに食べ、丁寧に生きる禅の教え」

心が疲れたらお粥を食べなさい。 豊かに食べ、丁寧に生きる禅の教え
吉村 昇洋
幻冬舎
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お粥?!禅?!

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不自由だからこそ実践できる。味わえる。禅的食事法

質問を投げかけたら答えが返ってくるような、こういう出会いって、わたしは運命的に感じてしまう。

思わず手に取り、そのままカフェへ。

本には精進料理。それも永平寺のお粥の朝食について書かれていました。

精進料理には仏道の修行にはげむことを支える野菜料理。しかし、哲学的に見て、仏教の実践を通した食事であれば、それは精進料理である。

仏教の実践とは?

自分の抱えている苦が何から生まれているか?じっくりと観察するということ。

毎朝、変化がないお粥から、“私”と“お粥”の関係を毎日見つめることができ、“身体”と“在り方”が細やかに見えてくる。

本書の中では、お寺に行って修行をしなくても、毎朝のお粥で、心を整え、一日を気持ちよくスタートさせることができる!として、朝粥をすすめています。

朝粥の実践方法には4つのルールがあります。

  1. 食器類は両手で扱う
  2. 咀嚼中の手は膝の上
  3. あらゆる音をたてない
  4. お漬物は一切れ残しておく 最後に熱いお湯と漬物で全ての器を洗っていく

「器を両手で扱い、不浄の指(小指と薬指)を使わず、器の縁に指をかけない」といった姿勢から入ります。

丁寧さは美しさにつながるのだそうです。

そして、一度口に含んだら、箸を置きます。

手に何も持たない状態で咀嚼をしていると自然と噛むことに注意が向いて、それが自分の身に起きている「今この瞬間」に向き合うことになっていくのです。

先日、プラユキ師の瞑想合宿で教えていただいた「気づきの瞑想」の食事法と似ている。

今のわたしのように口内炎がひどい時は、おちょぼ口でしかモノが入らない。

しかも炎症の無い口の右側でしか咀嚼できない。

さらに舌の奥が特に痛いので、飲み込むのが困難だから、自然と数粒づつをしっかりと噛み砕いてしか飲み込めない。

…まさに、いまのわたしは「禅的食事」を実践する最適な環境!!

ヘンな言い方をすれば、何かを食べようとすれば、自然とこうならざるをえない状況。

だったら、この口内炎花盛りだからこそできちゃうことを、やってみよう!!

「ということで、今夜はおはゆだはらね」とパートナーに伝える。

「は?何言っているかわかんない」

「お粥!」(イライラ)

あ〜、口内炎で話すのも辛し、わかってもらえないから、何回も言うのがストレスだ…。

「え?僕もお粥だけ?…」

「永平寺はお粥とたくあんとごま塩らしいけど、我が家は梅干しと納豆ね」

「…まぁ、最近外食が多かったからリセットするにはいいかも。ちょうど僕も口の脇が避けているし、食べ物が通ると食道あたりが痛むから、調子悪いみたいだいし」

「あら、二人してお口が負傷?!…それは、お粥で禅的食事法、やるチャンスね!」

家に戻り、早速、STAUB(ストウブ)の鍋でお粥を作りました。

お米二人分で1/2合、お水は700ml。

先ほどの本の中で紹介されていた、「永平寺のお粥」のレシピは二人分で米が1/2合、お水は900mlでした。

本物の精進料理のお粥の食事は、本当に少食なんですね…。

お米がブツブツいってきたらかき混ぜて弱火にして、少し蓋をずらし気味にして30分。

蓋をずらし気味にするのは、吹きこぼれを防ぐため。

30分後、鍋を覗くとお粥ができていました。

見た目、「少しシャビシャビした出来上がりかなぁ…」と思いましたが、お椀に入れて、実際に食べてみるとトロミがあり、なかなかうまい具合にできていました。

熱々だとお口が痛いので、少し冷ましながら、木のスプーンで少しづつ口に運ぶ。

口に入れる時、舌が自然に丸まるので、口内炎が少し痛い。

痛いからこそ、いつもは全く気にもとめていない舌の微妙な動きまで注意がいく。

手を膝の上に置いて炎症の無い右で咀嚼。

ほんの少量口に含んだだけなので、炎症にあたらず、痛くない。

お粥をじっくり噛むって、あまり日常にないかもしれない。

お米の甘さがすごくおいしい。

梅干しを小さくしてお粥に入れると、さらに味がついて美味しい。

「あ〜。梅干しとお粥ってこんなに美味しいんだね!」

「超シンプルだけど、超うまい!」と、パートナーとふたりで話す。

美味しすぎて、思わずおかわり!

「食事ができなかったわたし」は一体どこにいったのだろう?(笑)

しかも、なんだかお粥を食べることで、さらにお腹が空いてきた…。

「もっと食べたいよう〜」

そうわたしが言った時に、パートナーが昨日「孤独のグルメ」というテレビドラマをAmazonビデオで観た話をしてくれました。

「主人公は食事をする時、最初の一口目はゆっくりと食べるんだよ。そして、味わって『うまい!』と一言」

次から次へと口に運び、食べれば食べるほど加速する。

…という場面のことを話してくれた。

「今までの食事って、知らず知らずのうちに、そんなふうになってしまっていたことが多かったんじゃないか?」

本当にそうだ!

いま、わたしの感じている「もっと食べたいよう」は、まさに、お口が痛いので早食いはできないけど、そんな感じ。

「美味しい感覚」の虜になっていまっていて、その感覚を「もっともっと」次も次も味わいたくて貪欲になってしまっている。

よ〜く考えたら、永平寺レシピでは2人分で米1/2合と書かれていたので、これが修行僧たちの一食分。

それ以上は、修行的には「食べすぎ」なのだ(悲)

たった一食。

されど一食で、たった一食の食事をお粥にして、禅寺的食べ方にしただけなのに、いつもは感じていないいろいろなことに気づけたので驚き!

永平寺を開山した道元禅師が「摩訶僧祇律」という仏典から「お粥」を食べることの良さ、「粥有十利(しゆうゆうじり )」を引用して、「粥には10の功徳がある」と言っているそうです。

  1. 体の血つやが良くなり
  2. 気力を増やし
  3. 長命となり
  4. 食べ過ぎとならず体が安楽になり
  5. 言葉は清くさわやかとなり
  6. 前に食べたものが残らず
  7. 胸焼けもせず風邪をひかず
  8. 消化よく栄養となって飢えを消し
  9. 喉の渇きを止め
  10. 便通も良い

口内炎をきっかけに、禅寺的な食事方法として「お粥」を食べる試みは、なかなか楽しかった。

古くから日本人に馴染みの深いお粥。

お粥を食べる良さを再発見した感じです。

ちょっと気に入っちゃったかも。

口内炎もまだ治りそうにもないので、数日「朝のお粥」を実践してみようかと思います。

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