プロフィール

今までは「引き寄せの法則」について書いていました。

でも、2018年10月にシャスタに行って「空(くう)のようなもの」を感じてから、何かが変化してきました。

「空(くう)は晴天の空のようなもの」

晴天の空”だけでは何時間眺めていたとしても動きを感じられません。

でも、空に太陽があって、白い雲があって、風が吹いて…たまに太陽が雲に隠れたり顔を出したりすれば、動いているのがわかります。

すると生きていることにリアル感が生まれてきます。

地面にも山があって川があって、人間がいて、街があって…たくさんのものがあって、動けば動くほど世界が活気づいてくる。

わたしたちは「この世界の彩りのひとつ」で、この世界は彩りに満ちているのが感じられました。

「目の前に起こる出来事は」すべてそのままでいい

2020年3月にアメリカのネイティブアメリカンの聖地、世界的パワースポットであるセドナを訪れた時、今まで「引き寄せをしてきたのはわたしだ」と信じていたものが崩壊しました。

「人生が変わる時セドナに呼ばれる」と言われています。

これは自然にはたらいている宇宙の大きな力がわたしをセドナへと連れてくる…というような、どちらかというと受け身な感じです。

「引き寄せの法則」で絶えず夢を求め、目標を追いかけているうちに、積極的に動くことばかりに意識が向いていて、この「呼ばれる」という感覚を長い間すっかり忘れていました。

セドナではたくさんのシンクロニシティが起こりました。

一分一秒間違わず、パズルがピッタリとはまるかのように出来事が起こり…。

まるで元々シナリオがきまっているかのごとく展開していく様子に、人間を超えた宇宙の大きな力が働いているを感じました。

そう感じた時、不思議だけれど、目の前に起こるすべてのことが「そのままでいいんだ」と思えるようになりました。

”今、ここ”は驚くほど狭かった

帰国してから読んだ「非二元の本」に啓発され、「”今ここ”ってどこのことだろうか?」と考えるようになりました。

ある日の朝、目を覚ますと、パートナーが2階のベッドから1階へと降りてゆくのが見えました。

階下のキッチンからカチャカチャとカップを洗っている音が聞こえ、昨夜カップを放置したまま寝てしまったことに気がつき、バツの悪い気分になりました。

その瞬間、そのすべてが空想であることに気がつきました。

認識できるのは、2階にいるわたしが目で耳で鼻で舌で身体で触れられる範囲で、あるのはただ音が聞こえてくるのみ。

本当はカップを洗っているのかどうかはわかりません。

”今、ここ”は、まるで映画のフイルムの画像の一コマのようにとても狭い範囲でした。

お釈迦様の手のひらの上で踊っていたわたし

このコマには過去も未来も無く、どちらもイメージで、わたしは延々に訪れる「今、ここ」を見続けるしかなかった。

延々に続く「今、ここ」を創り出し、コマを送っているのは「セドナに呼ばれた」時と同じ、宇宙の大きな力だったんです。

”今ここ”に「セドナへ行きたいな」という思考が現れると、「本棚からガイドブックを取り出す」という画像に切り替わります。

今度は「本棚からガイドブックを取り出した」という画像に、「ピンポーン」という玄関のチャイム音が現れると、「本を手にして玄関に向かって走り出す」画像や「玄関ドアを開ける」画像に切り替わってゆきます。

一枚一枚の画像が映画のように1つの流れとして感じられると、それが「1日」になったり。「歩いてきた人生の道のり」になります。

わたしが活動をしていたのではなく、宇宙の大きな力が活動をしていました。

それは孫悟空の話「お釈迦様の手のひらの上で踊る」感じに似ているように思えました。

宇宙の大きな力がわたしを、連続して流れているように感じる映画の中で踊らせているんです。

そう感じたら、わたしはさらに「お釈迦様の手のひらの上で踊っているなら、本当に”シェルター”の中にいるみたいに守られていて、安全じゃないか!」とも思えました。

”何も無いところからどんどんと出来事が起こってくる”という宇宙にはたらいている大きな力の不思議さ。

起こってくる一つ一つが「彩り」でした。

たくさんの「彩り」を集めて記録したものがストーリーとなり、それが人生として現れる。

その軌跡がハッピーコラージュです。