写真の本は全部、本日、TUTAYAの中古コーナーで手に入れた本たち、5冊。
これらの本に現れているのは「キレイになりたい!!」というわたしの心の叫び(笑)
アラ還暦(50代最後の年)ともなれば、毎朝化粧をするたびに、シワやシミ、ニキビ跡や毛穴の開きや肌のたるみが気になって…。
年々コンシーラーで懸命に隠す場所が増えて、厚塗りにはなるし、朝のメイク時間が長くなるばかり…。
50代、メイクの仕方わかりません!教えてください!もっとナチュラルなメイクにしたいんです!!
まったく新しいメイクの定義
そんなわたしに希望を与えてくれた本がこちら。
なぜ希望が持てたか?というと、これを読んだ時、そこには「まったく新しいメイクの定義」が書かれていたからなんです。
これまでわたしのメイクの認識は「キレイに見せるためのもの」で、つまりは汚く見える毛穴やシミ、ニキビ跡などをいかにカバーして、つるんとキレイな肌に見せてくれるか?が大切だった。
毎朝、シミの一つ一つにコンシーラーを塗り、小さなホクロも消し、「嫌なこと撲滅運動」に精を出してきた結果、いつの間にか欠点を見つける達人になっていた。
そんな人が自分の顔を好きになれるわけないですよね
確かに。…でも、どうしてもシミが気になる…。
そのシミはあなたの人生でできたもの、あなたの人生の軌跡ですよね。どうしてそのシミができたのでしょうね
この本には、この言葉の後「このシミは息子の野球の応援の時できたのだと思います」と続けられた。
わたしのシミは?
わたしのシミは、一回めの嫁ぎ先のラーメン屋の配達をしていてできたものだと思う。
だから、運転席側の右側の頬が特に多い。
「メイクは特徴を活かして磨くもの」であり、シミやシワもこれまでの自分の経験や思い出が刻まれているもので恥じるものではない、と。
これを読んだ時、スーッと心に入るものがあり、著者の世界観にどんどん引き込まれていきました。
顔には自分の生まれた使命が宿っている?!
そして、顔のパーツについても「こうだったらいいなぁ」がたくさんあります。
目が奥二重なので、ハッキリしっかりした目が大きな人になりたいとか、もっと鼻筋が通った人になりたいとか、ゲジゲジ太い眉をどうにかしたいとか…。
でも、「眉毛はいい形に剃るのではなく、そのままの形でいい」と言う。
目も奥二重で、鼻もそのままでも魅力はあるのだ!と。
あたなはその顔で生まれてこなければ成しえない、ある使命を果たすために生まれてきた
「ちょとそれ、言い過ぎじゃないの?」と思いつつも、内心ニヤけているわたし。
こんなふうに自分のことを思えたら、最高だなぁ。
自分の顔の魅力を知るには、まず、いくつかの質問に答えて顔のタイプを「艶」「萌」「凛」「清」という4つにカテゴライズして、他人から自分がどうみられているか?に気がつくこと。
…確かに、今までは「自分がこういうふうに思ってもらいたい」とか、あるいは「憧れの○○さんみたいになりたい」という、「誰かになろうとするメイク」だったように思う。
あるいは、「眉が今は真っ直ぐなのが若々しく見える」とYouTubeで聞けば、眉をその形に合わせてジョリジョリ剃ってみたり…。
その時々でメイクは変わっていったけれども…、一度も自分自身の魅力を真剣に考えたことなんてなかった。
「自分には探すような魅力がなくて、ダメなんだ」と思い込んでいた。
輝ける立場や見せ方があるのです。
大切なのは「あなたがどうみられているか?」で、これは「社会として期待されているあなたの役割」を表すのだと。
その社会の役割を果たすようなメイクを日々していくと…、どんどん自分の魅力が開花していく。
いつか、自分のありのままのすべてを魅力と捉えられる日がきます。
この言葉が一番、心に響いた。
そして、「キレイになりたい」という思いは、自分にとってどちらかというと楽しいよりも重荷だったことに気づきました。
だって、メイクをするたびにシミやシワ、ニキビ跡にフォーカスして、自分が「理想的」でないことを毎朝突きつけられるから…。
そして、基礎化粧品も「エイジング」を意識して、今まで化粧水とクリームだけだったものが、年々「肌のハリ用」とか「毛穴ケア用」とかどんどんアイテムが増えていくのも、経済的にも重荷だった。
でも、ありのままの自分を好きになれたら、それらから開放されるんじゃないか、って思えてきた。
すぐにネットから著者が運営する「美塾」に申し込み、来週から学ぶことにした。
50代も終わりも終わり、もうすぐ還暦なのだけれど…、残りの人生、叶うのなら「キレイな自分、素敵な自分」で過ごしたいし、老いていくことも含めて、丸ごと自分を好きになりたい。