わたしは長い間、引き寄せの法則で欲しいものを求め続けることにハマっていました。
先日「引き寄せの法則の罠」という記事にも書いたように、人生をコントロールできると思い込み、その罠にはまり込んでいました。
でも、もう一つ。ある洗脳に気がついたんです。
その「あるもの」は引き寄せの法則において絶対不可欠なものであり、大、大、大原則。
同時に「あるもの」は、社会で持つことを奨励されています。
人として生活する際に「あるもの」は必ずあり、あまりに普通に存在しているので気がつけないのです。
気づいたのは人生で最大の夢”一軒家を建てた時”の違和感から

わたしたち夫婦が家を建てたときの話です。
まっさらな敷地に一から、理想の家を思い描ける状況にありました。
「地元の天然木材を使って欲しい」「床や壁は天然素材」「山小屋のように屋根裏のある家」…などなど、夫婦二人の憧れを盛り込んだ、理想の家を設計図にし、建て始めました。
幸い、お願いした工務店さんはとてもいい方々ばかりで、建てている最中も親身になって何度も話をきいてくださり、その都度、繰り返し変更を加えてくださいました。
そうして建築を開始して4ヶ月ほどで家が完成。
その完成した家を見た時、パートナーはあり得ないひとことを言ったのです。
「う〜ん。理想の家ってのは4.5件建てないと建たないのかなぁ」と。
その言葉に「え?!何言ってるの?あんなに何度も変更重ねたでしょ!」とビックリ。
4ヶ月前、自分たちのありったけの思いを込めた「理想」の家の設計図が出来上がり、わたしたちは喜びに沸きました。
実際にそれを形にしていくにつれ…、「これができたなら、あれもできるんじゃない?」とだんだんと一番最初に作った設計図よりも求めるものの水準が少しづつ高くなり続けました。
そんなふうにして、実は、思い描いた「理想の家」が最初と最後では大きく変わっていたんです。
「理想」はアメーバーのように変幻自在で「この形!」と思ってつかみ取った瞬間、もう次の形に変わってしまっています。
一見「到着地点」があるようで、実はどこにもありません。
「理想」がくるくると変わる以上、「理想の家」は永遠に建てることができないんです。
洗脳していた「あるもの」の本当の正体
洗脳していた「あるもの」はは引き寄せの法則において絶対不可欠なものであり、大、大、大原則。
同時に「あるもの」は、社会で持つことを奨励されています。
その「あるもの」は目標実現しようとする向上、進化、拡大、発展しようとする”思い”です。
それは「向上心」です。
わたしたちが「理想の家」を建てながらもどんどんと改善箇所や要望が出てきて、求める水準が上がって変化してきたのも、この「向上心」によるところです。
引き寄せの法則もそれら「向上心」から成り立っています。
憧れや欲しいものをノートに綴ってみたり、願いが叶うようにアファメーションを唱えてみたり、お金が沢山入ってくるように満月に向かって財布を振ってみたり…。
これらの行動はすべて「現状よりも少しでも良い方向へ。幸せになりたい」という強い思いがベースにあります。
引き寄せの法則は夢、憧れ、理想という美しい言葉で飾った目標をひたすら追いかけている「向上心」という名のレースでした。
向上心の裏に隠されていたものは…

しかし、わたしたちは幼い頃から「向上心を持つことがとても大切。そしてそれに向かって努力しなさい」と教えられて育ちます。
生まれた時「この子にはちゃんと生きていて欲しい」と周りの大人達は思います。
そのために、この資本主義世界で生きる術を、社会でなんとか生き残る術を身につけて欲しいと、小さい頃から善悪を教え、社会のルールを教え、この世界の生存競争に勝ち抜く術を教え、それをできるだけ高めて欲しいと願います。
大人達は「洗脳」ではなく、「思いやり」でこれを幼い頃から教えました。
それは同時に自分たちがリアルに感じている「この世界は怖い場所。うかつに信じてはいけない場所。絶えず努力し、頑張らないと生き残れない場所」と言うメッセージも含んでいました。
そのメッセージを聞いて育ったわたしたちは、生存競争の真っ只中に放り込まれます。
「この”怖い場所”は一瞬でも気を抜いたら、死んでしまう」という恐怖心が生きている以上、常にまとわりついてきます。
そして、恐怖心が「向上心」を生むのです。
例えば、学校のテストの点数。
最初は40点しか取れなかったら、「せめて半分くらいは点数を取りたい」と50点を目指します。
それが達成できたら、今度は「半分以上」と言って60点を目指し、また達成できたら、70点、80点…。
テストの点数が40点から上がり続けていた頃、きっと母親に褒められてうれしかったに違いありません。頭が良くなった気がして優越感も感じていたと思います。
「もっと褒められたい!もっと母親の笑顔が見たい」と健気に頑張り続けます。
そして、ようやく100点が取れて喜んだら「2回連続で取れるようにしましょう」とさらなる上の目標を掲げられます。
でも、いつしかそれがスタンダードになり、”随分と水準の上がったその理想”がなかなか思うように叶わなくなると…。
不信感が生まれたり、落ち目と言われたり、優越感砕け散ったり…散々な目に遭います。
何度100点を取っても満たされないばかりか、たまに80点でも取ろうものなら「失墜してしまった」と狼狽し、より一層の力を振り絞り、猛ダッシュで走り続け始めるのです。
現状が低いレベルでも高いレベルでも「向上心」という魔法のフレーズで、常に何かを獲得するために走り続けなければならないのです。
こうして、ゴールのないレースを延々に続け、終わることのないループの中に閉じ込められていくのです。
時に「向上心」は重荷になることもあるんです。
今後、資本主義が変わったらどうなるでしょう
引き寄せの法則は「向上心」というものが反映される「右肩上がりの時代」にマッチした夢を叶えるメソッドでした。
向上心を持つこと自体は決して悪くはありません。
しかし、苦しさや辛さ、焦りがあるのなら、どんな恐怖心があるのか考えてみる必要があります。
今、コロナで、世界中が外出自粛を余儀なくされ、出勤からリモートワークへと働き方が変わりつつあります。
経済活動がストップし、収入源を失いつつある中で給付金や補助金の話も出始めています。
もし、噂されているベーシックインカムが本当に導入されたら…、わたしたちの生活はどう変わるのでしょう?
もはや生きるための仕事は必要なくなります。
生きることへの恐怖心は、今よりも少なくなっていくのでしょうか?
その時、適切な向上心は湧き上がってくるのでしょうか?