パートナーがベッドから起き上がり、一階に降りていきました。
ほどなく、キッチンの方がガタガタと騒がしくなり、カチャカチャとガラスの当たる音が聞こえます。
「昨日洗わなかったカップを洗って、いつものように紅茶を淹れているんだ」と思いながら、わたしは二階のベッドで寝そべったまま、その音を聞いていると…。
「カップ洗わせて、悪かったかな…」と、少々バツが悪いような気分になりました。
「どうしよう。…起き上がっていったほうがいいのかしら…」
心が迷い、静かに寝ていられないような気分になってきました。
そう思った時、ふと…「あれ?これってイメージじゃないの?」と思いました。
わたしは二階にいるので、彼の姿はまったく見えていません。
聞こえてくる音から想像して、「あ、今キッチンにいる」とか。
昨夜”カップを洗わずに寝てしまった”という記憶から「カップを洗っている」とか、”いつもの彼の習慣”から「紅茶を淹れている」と、想像しているだけで、「実際のところ、どうなのか?」はわからないです。
しかも、彼の心を推し量り「面倒くさいんじゃないか」と思っているのも、想像でしかありません。
先日、YouTubeを見ていたときに、動画の中で、出演されている方の家の玄関のベル音が鳴った時、見ながら、そわそわしてしまう…という条件反射をしてしまった自分がいました。
この時は、動画の中の…言ってみれば”架空の世界”なのに、しかも”過去動画”で全然リアルタイムではない。
そんな、無駄なところに心を使っていることが理解できた時、笑えた(笑)
今朝も、これとまったく同じ!
イメージしたパートナーの動きに、自動的に「悪かったな」という罪悪感を持ち、自分を責めて、反省までしていました。
彼はひとことも話していないのに!(笑)
こんなふうに、毎日、本当かどうかわからないことに、悩んだり、不安がったり、焦ったりして、自分の心に負担をかけているのかと思ったら、可笑しくなってきました。
わたしにとって「いまここ」はどこのことなんだろう?
何が事実で何が想像なのだろうか?
それを見極めることにしました。
一階のパートナーの動きや、わたしの頭の中の会話や感情も想像です。
目の前にあるのは、ベッドで寝そべっているわたしの身体と木目の天井、白い壁、窓からは青空が見えて、カチャカチャと音がする。
それだけが「いまここ」の事実です。
…そう思った時、「なぁんだ。驚くほど”いまここ”って、狭いな」と感じました。
さらに、じっと静かにそれらを見ていると…、寝そべっている自分の身体すらも風景の一部になり、「静止画像」のように見えて…。
…あれ?…悩むようなことは何もないじゃないか、と思えました。
事実と想像を見分けたら、「事実」が驚くほど少なかったので、あまりのシンプルさに拍子抜け(笑)
ためいきをついたあと、カチャカチャという音を聞きながら、もう一度布団に潜り込みました。