「パブロフの犬」とは、経験などによって後天的に得られた反射的に出る行動。条件反射のことです。
「犬」だけでなく、わたしにも、あまりにも日常的すぎて気がつかなかった条件反射、ありました。
ある「禅」のお坊さんのYouTubeを観たときのことです。
YouTubeで流れるビデオの中で、そのお坊さんは、お寺の座敷らしきところで数人の人に向かって、お話をされていました。
その映像の途中で…。
「ピンポーン」
ビデオの中で、お寺の玄関のベルの音が鳴り響きました。
わたしは一瞬、ドキッとしました。
しかし、ビデオに映るお坊さんは、そのまま動かず、話をしておられました。
ピンポーンピンポーンピンポーン…。
連打されるベル音に、「玄関に行ったほうがいいんじゃないの?」と観ているわたしはソワソワ。
ピンポーンピンポーンピンポーン…。
会場がザワザワしはじめていましたが、それでもお坊さんは話を続けています。
「ああ、早く行かないと…!」
胸がキュッとなり、”何度呼んでも出てきてもらえず、困っている来客のおばぁちゃんの姿”までも思い浮かんでいました(笑)
ピンポーンピンポーン。
よくよく考えてみれば、「ビデオ」はすでに”過ぎ去ってしまった過去の記録”で、リアルではありません。
そして、これは我が家のベルの音でもなく、”まったく行ったことも見たこともない人の家”の出来事。
一視聴者のわたしがソワソワする意味も理由も、まったくない。
なのに、なんという逞しい想像力!
まるで、パブロフの犬。
「音」は「音」で意味はない。
でも、日常生活の中で「ベル音=来客=応じる・応じなければ誰かが困る」という意味づけが生じていて…。
その「反応すること」の必要性がない場合にも、見事に心と身体はそれに反応を示していました。
それと同時に、「応じれないこと」への「苦しさ」みたいなものが生じてきたことも、すごく興味深かったです。
…肝心のYouTubeの話の内容はまったく覚えていなかったりして…(笑)