「死後の世界」という物語の役割

先日、パートナーの父(義父)がこの世を去りました。

その際に、お寺のしきたりとわたしたち遺族の思いがなかなか合致せず、お葬式の日取りがなかなか決まりませんでした。

この世を去った後の故人は一体どこに行くのか?

死後の世界はあるのか?ないのか?一体どうなっているのか?

義父のお葬式を通じて、「死後の世界」という物語が担う役割がわたしたちを苦しめたり、解放したりするという、悪い面と良い面を体感することができました。

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日本のお寺、仏教の「死後の世界」の流儀

義父は突然に亡くなりました。

亡くなる前日までパートナーと「岐阜での地鎮祭の時の写真」をLINEでやりとりしていたし、バスに乗って病院にも行っていたくらい元気でした。

だから、まさか突然に心臓が停止してこの世を去ってしまうなどとは、夢にも思っていませんでした。

お墓は東京のお寺にあります。

義母の暮らす埼玉からその東京のお墓は遠く、法要しづらい面があります。

そして、あまりにも死が突然すぎたので、義父と離れづらく、「今しばらくはお父さんと一緒に居たい!」という気持ちを持っている義母。

納骨のことはゆっくりと考えて、とにかく今は、お経をあげて戒名だけを付けてもらえるようにお寺に相談みようと電話をかけました。

でも、お寺の住職さん曰く、「あの世にはあの世の流儀がある」とのこと。

故人は7日周期で7回の試験があって、あの世に行くトレーニングを積み、四十九日でようやくあの世に住人になれます。

そういうあの世の仕組みがあり、それに沿うように、葬儀や法要に関しては故人を中心に考えなくてはなりません。

決して、わたしたち生きている者の都合に合わせてやり方を変えたりしてはいけません。

通夜、葬式と二日間かけてしっかりと法要し、戒名を付け、四十九日でお墓に入ることがとても大切なのです。

住職さんは「故人を中心に考えること」を強調されました。

「故人の成仏を願い極楽浄土に行けるように祈り、力添えをするのが法要」と、住職さんは言われるけれど…。

死後の世界の方が物質を超えた高次元世界であるのに、低次元のわたしたちに一体何を力添えできると言うのだろう?とも思う。

正直、力添えして欲しいのはこの世界を引き続き生きていくわたしたちのほうだ。

義父の死について、「どうして気づかなかったのだろう?」と自分を責め、「もっと食事に気をつけた方がよかったのかしら?」と後悔を口にし、「もっと話したかった」という思いで胸いっぱいの義母。

喪主である義母がお寺と葬儀の方向性を決めなければいけないのですが…。

「東京のお墓は遠くて行かれない。いつもお父さんの近くにいたい」という思いと、

「戒名をいただかないと死後、良い待遇を受けられない」とか「納骨しないと故人が彷徨うことになる」というお寺の話との間で義母は板挟みになり、迷っていました。

そして、何も決められないうちにふた晩が過ぎました。

このように、時として「死後の世界」の物語が手かせ足かせになり、身動きが取れなくなることがあります。

どうしたものか…と思っていましたが、3日目の朝、義母は嬉々とした声で「わたし決めたわ!お父さんとずっと一緒に家にいる!東京のお寺にはいれない!」と宣言しました。

どうやら、電話で、親戚の誰かから「私は納骨せずに10年も一緒にお父さんといる」という話を聞き、「お父さんと一緒にいたい!と素直にそう言ってもいいんだわ!」と思えたようです。

義母のひと声で、すぐに義父が互助会に加入していたセレモニーホールでお坊さんを手配していただき、お通夜なしの、家族と少人数の親戚だけで小さなお葬式をするスタイルに決めました。

とりあえず、四十九日で納骨をしなくても義母は好きなだけ一緒に義父と過ごせばいいし、その上で、もしどこか近くにお墓を買いたくなったら、そこに納骨をしてもいい。

みんなで話し合い、生きている義母の気持ち中心でお葬式を行うことを決めました。

「死後の世界」の物語が希望の光に変わることもある

その夜、義母とパートナーと義妹とわたしの4人でささやかに納棺式を行いました。

キレイに白装束に着替え、化粧を施していただいて、わたしたちの手で足袋を履かせスネや手の甲を覆い、草履を置き、三途の川の六文銭を懐へ入れ、白い杖も道中無事に歩けるようにと棺の入れました。

三途の川を渡るだなんて、…もしかしたら日本にだけしかないのかもしれない…。

死出の旅に六文銭が本当に必要かどうかもわからない。

でも、旅の衣装を身につけた義父の姿を見た時、「ああ、よかったな、これで無事に旅立てる」というような不思議な安堵感がわたしの胸に広がりました。

その瞬間、「義父はこの世界にはもういないのだ」と密かに区切りができた感覚でした。

納棺式の帰りに「明日、お花を入れる時に、一緒に故人の好きだったものを棺の中に入れることができますよ」と言われ、「ゴルフの帽子はいくつまで入れられるの?」と聞いた義母。

「お花も入れますので、二つまでくらい…ですかね」

家に戻り、4人で棺に入れる帽子を選びました。

タンスに十数個もゴルフの帽子があって、びっくり!

「このイルカの帽子が可愛くていいんじゃないの?」

「こっちの方が汗の跡が残っていて、使い込んでいそうよ」とか。

義父が向こうの世界でゴルフする姿を思い浮かべながら4人で帽子を選んだ時、ふと、パァッと心に希望のような明るい感覚が胸に湧いてきました。

「死後の世界」があるのかないのか?そんなことはわからない。

それでも、故人が「向こうで生きて生活している」とイメージした時、心がフッと軽くなりました。

目には見えないだけで、違う次元を生きているのだと。

無事に葬儀が終わり、家に祭壇が来てからの義母は、毎朝、義父の大好きなコーヒーをお供えして「お父さんいただきましょうね」と話しかけて一緒に飲んでいます。

二人が一緒だった頃の仲睦まじい空気がそこにありました。

かりそめの「死後の世界」の物語も、それを一瞬信じるこことで力に変えていける場合がある、と感じました。

本当は…、葬儀をはじめ「死後の世界」の物語は、実は、最初は仏教の…お寺の方便だったのではないだろうか?と思います。

著書「僧侶が語る死の正体」を読むと、「誰も死後の世界から戻った人はいなく、僧侶といえども死後の世界のことはわからない」と書かれています。

僧侶が語る死の正体: 死と向き合い、不死の門を開く、五つの法話
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これ、本当にすごいな!と思います。

高名なお坊様であれば「あちらの世界に精通している、なんでも知っている」と思いがちですが、お坊様自身が「わたしたち一般の人とと同じようにこの世を生きている一人の悩める人間なのです」とおっしゃっている。

さらに本書には、「物語に身を委ねてしまえばいい」ということも書かれてあり、「阿弥陀様がお迎えに来てくれる」と言った途端、そう信じて死ぬのが怖くなくなったおばぁさんのお話が出てきます。

わたしたちは「亡くなるほう」ではなく、遺されたほうでしたが、今回、実際に「あちらの世界でゴルフ」というイメージが、家族の心を明るくしました。

仏教は「正しいものの見方を伝える」ものだけれども、このように、これから死にゆくひと、または身内を亡くし、悲しみにくれて力を失った人に対して、「死後の世界」という方便を使ってカウンセリングに近いことをしていたのではないだろうか?

義父の葬儀は3年前のわたしの母の葬儀の時と異なっていました。

わたしの母はお経をあげることを拒み、戒名もつけず、お寺との付き合いもしない意思を示していたので、それを汲み、本当に家族だけの簡素な葬儀でした。

病院から帰ってきて、小さな祭壇に寝かされたと思ったら、すぐに次の日に焼かれて…。

誰の訪問もなく、香典も受け取らず、お返しの必要も無く、びっくりするほどサクサク「やるべきこと」は進みましたが…。

「母はこんな人だった」という家族以外の人からの話も聞けず、母の思い出話をする機会もなく…、日常からそこだけが抜け落ちてしまった感覚。

淡々として、誰も感情的になることなく、悲しい感覚もない代わりに、義父の時に「あちらの世界でゴルフ」でみたような「希望」みたいな温かさを感じる場面もなかった。

葬儀の仕方は人それぞれなので、それはそれで全然悪くはないと思う。

でも、今回、義父の葬儀を経験したことで、「あの時、実は、なんだか未消化なものを感じていたんだな」と、3年も経って初めてそれを感じることができました。

こういう「なんだかわからない未消化なもの」をいつまでも抱えているよりも、義父の時ように「死後の世界」という物語はうまく使えば、安らぎに変換したり、生きていく力に変換できたりもできたのではないかな。

義父の葬儀で、遅ればせながら3年前に亡くなった母の死後の生活もようやく思い描け、なんだかスッキリとしました。

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