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マインドフルネス瞑想は雑念が消えなくてもO.K!雑念を知れば宝に変わる!

マインドフルネス瞑想は雑念が消えなくてもO.K!雑念を知れば宝に変わる!

瞑想をしている時、ふいに、とんでもない思考がわいてきて「今のは無かったことに…」と否定してしまったり。

呆れるほど次から次へととめどなく湧いてくる思考に、「雑念が止まらない!」と自己嫌悪に陥ることがあります。

マインドフルネスな(今ここに気づく)状態でいるために、知らず知らずのうちに「雑念は悪者。排除しなきゃ」と考えてしまっているところがありました。

最近、マインドフルネス「気づきの瞑想」を提唱しているプラユキ師のお話会に定期的に参加しています。

そのお話会で「思考について」の講話を聞き、雑念のイメージがガラリ!

雑念が「ものすごく愛しいもの」に変化したんです。

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瞑想中の雑念って気になるよね

気づきの瞑想では「わき上がってきたものすべてに良い悪いの判断をせずに受けいれて、今ここに戻ること」が大切。

でも「自分の中から浮かんできたもの」とはいえ、イライラや怒りといったようなネガティブな感情は、なかなか受けいれ難く…。

「全部浮かんだものは受けいれなきゃだよね。黙って見なきゃだよね」と、どこか無理矢理「受けいれたこと」にしようとしている自分がいたり。

「くだらないことばかり、どうしてこんなに浮かぶのだろう。もっとみんなは高尚なことを考えているのかなぁ?」と、自己卑下してみたり。

いまひとつオープンハートになり切れていませんでした。

三毒は本当のやりたいことや理想を教えてくれる

仏教には、人間の諸悪、苦しみの根源として「三毒(さんどく)」というのがあります。

  1. 貪(とん)…むさぼり、貪欲、過干渉
  2. 瞋(じん)…怒り、憎い、葛藤、対立、批判、虐待
  3. 痴(ち)…ボーッとする、目の前のものを見ない、無関心

浮かんきた思考や感情で、あまり歓迎したくない「雑念」とわたしたちが呼ぶのもは、大体この「三毒」に分類されます。

でも、プラユキ師は、「雑念の中によき創造を生む宝の原石もあるんだよ」と言われます。

「貪(とん)はね、求めていく力なんだよ」

え?求めていく力?

「貪(とん)の『欲しい』という思いは、つまりは、こうなりたい、こうしたいという願いなんだよ」

ふむふむ。

「それから『このレストラン、もう少しこうしたらいいのに』と思うことない?」

プラユキ師がそう問いかけた瞬間、先日訪れたカフェが思い浮かびました。

そのカフェには大きな窓とテラスがあり、目の目に広がる川と緑の山々。

その開放感がうれしくて、感動しました。

でも、その素敵なカフェの一角に、まったく関係のない「アナと雪の女王」の子供用ドレスが売られていたのをみつけた時、一気に興ざめ。

「どういうコンセプトなのかしら?素敵さが台無しなんだけど」と、ついついパートナーと批判を…。

「それを言っている時、それは『こうしたら素敵なのに』という改善案でもあるんだよね。そこには知的な作用が入っているんだよ」とプラユキ師。

なるほど。

確かに、わたしがカフェに求めている理想のクオリティがそこに存在していて、それと違うから興ざめしちゃったんだ!

そして、ついついブツブツと文句を…。

「瞋(じん)の批判や怒りも、活用すれば改善力になるよね」

改善力かぁ。

「痴(ち)も、妄想力は想像力になり得るでしょ」

なるなる。

すべての思考や感情の根本には「これが欲しい」「こうありたい」「こうしたい」という願いが存在している。

怒りや悲しみや不快感は「理想とギャップがありますよ」で、喜びや充実感は「理想とピッタリですね!」と教えてくれているのだ。

言うなれば、自然に湧き上がってくる思考や感情はバロメーターとなって、「本来の自分と違っている」と教えてくれているのだ。

裏を返せば、思考や感情は「本当に自分が望んでいること」をいつも教えてくれる唯一の親友だったんだ。

すべての思考と感情はアイデンティティ、自分自身なのだ。

そう感じた時、湧き上がってくるすべてがかわいらしく、愛おしく思えました。

「雑念の中によき創造を生む宝の原石もあるんだよ」じゃなくて、「どれもわたし」で、すべてが宝の原石。

そもそも人間には自分にとって利用価値のある都合のいいものを美化して、都合のよくないものを悪いもの呼ばわりする癖がある。

たとえば、「腐ること」も納豆や味噌は「発酵食品」と呼ばれ大人気。

一方、普通にしなびて腐ったトマトやきゅうりは「腐敗」と呼ばれて鼻をつまんで捨てられる。

そこに、人間にとっての利益があるかないかで良い悪いが決まる。

思考も同じで、自分に都合がいい思考には「ひらめき」と名付けて、自分に不都合な思考には「雑念」と名付けて捨てられる。

感情も気持ちいいのは「喜び」と名付けて受けいれられ、気分が悪いと「不安」とか「恐怖」とか「不快感」と言って避けられる。

でも、どれも「わたしの本当の欲求」を表現したものに過ぎないことがわかった。

今までひっかかっていた「受けいれられない」がサーッと消えた。

「三毒もね、転換すれば力になるんだよ」とプラユキ師。

三毒を可能性やパワーに変える「気づきの瞑想」

三毒の転換を促すのが「気づきの瞑想」です。

「三毒を純粋化して、よきパワーに変えて活用できるんだよ」とプラユキ師。

気づきの瞑想では「わき上がってきたものすべてに良い悪いの判断をせずに受けいれて、今ここに戻ること」を練習します。

通常わたしたちは物事が起こってきた時、これまでのクセや価値観によってそれを見ています。

さらにそれに関連した過去の出来事からもさまざまなものを引っ張り出してきて、物語を創り出します。

そして、その物語に右往左往。

でも、気づきの瞑想でマインドフルネス(今ここ)状態をトレーニングしていくと、物語が起こってきた時点、あるいは直前に気づくことができるようになります。

気づけば、過剰なデコレーションをした物語に発展することなく「ひとつの起こってきた事実として」純粋に捉えることができます。

「気づきの力」がついてくると、思考や感情が湧き上がった瞬間に、解決策が見えたり、深掘りしなくても本当の願いが見えてきたりするといいます。

そうすると、貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)にあたる雑念も、一瞬で宝に変えることができる。(これぞ錬金術?)

もう宝物ザクザクですわ(笑)

いつでも完璧な瞑想ができている!

今までは「雑念が湧いてきて瞑想がやりにくい」と感じていたけれど、なんたって雑念は宝の山ですから、恐れることはありません。

頑張って雑念を手放す努力も嫌悪感を感じる必要がない。

「これが欲しいの」「こんなことがやりたいの」「甘えたいの」「泣きたいの」「これ、怖いの」

そう訴えてくる、まるで小さな子供みたいな思考と感情。

その子供を見守るかのように、思考や感情のなりゆきを見ていればいい。

そして、「手」というホームに戻るだけ。

だって、湧き上がってくるものすべて、わたしなのだから。

マインドフルネス瞑想はアファメーションなしでセルフイメージを高められる!

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