友人と話をしていても、会社の人間関係、家族の人間関係で悩んでモヤモヤしているという話が多い。
わたし自身も、そんな人間関係でモヤモヤしている人のひとり。
でも、最近は、気疲れしない方法「気づきの瞑想」を知って、以前よりもかなり疲れなくなりました。
気疲れの原因は環境だけじゃなく、心のクセで消耗させていたんだ!
以前、「プラユキ師との個人面談」のときにも相談したように、父との関係がいまひとつギクシャク…。
詳しい内容はこちら↓
父といると、あまりの価値観の違いと、短気で怒鳴る父の怒りに触れたくなくて…。
萎縮して、気疲れして、実家から帰ったあとは1週間寝込んでいるのが「普通の状態」でした。
いま、父の住んでいる岐阜に、わたしとパートナーが家を建てる計画があり、その話し合いで、月に2回ペースで神奈川から岐阜に行き、実家に泊まるのですが…。
父とあまり一緒にいると気疲れしてしまうため、実家滞在時間を、最小限にとどめていたりする。
そんな岐阜滞在なのですが、少し前に、実家でパートナーが席をはずし、わたしと父のふたりきりになったとき。
「岐阜に来たら、お前、働きにいくんやろ?」と、突然聞かれたことがありました。
その瞬間、「岐阜に来たら、しっかりお前の事は管理する!」と言われて怖かったという、「夢」を思い出してしまい、頭が真っ白に!!
心臓がぎゅっと縮んで、痛い。
でも、次の瞬間、個人面談の時にプラユキ師に言われた言葉が頭をよぎった。
「いいチャンスじゃない」「出来事が起こった時に、反応するんじゃなくて、対処することが大切」
手動瞑想をするときのように、太ももをポンとたたいて勇気をだしてみました。
「わたし、岐阜に帰っても、外には働きに行きません」
声が少し震えた。
「なんでや?家を建てるのにお金を全部使ってまうやろ?老後の資金をなんとかせな、子供に迷惑がかかる。
岐阜に来たら、近くのスーパーにでも働きに行ったら、少しは自分の貯金できるやろ?」
父は、わたしが年老いて困らないように心配してくれているのだ。
「わたし、家で何もしていないわけじゃないです。パートナーの仕事のお手伝いがわたしの仕事なんです」と。
ドキドキしながら答えました。
そのあと、父は何も言いませんでした。
父が理解できたのか?できなかったのか?よくわかりません。
でも、その苦手だった父との関係が、最近、ちょっとだけ変化してきたように感じるのです。
先日、わたしたちの岐阜行きの日程が父が旅行の日程と重なってしまった時、
わざわざ父は旅程を繰り上げて、わたしとパートナーのために家を片付けて待っていてくれたんです!!
そして、旅行のお土産を、わたしたちに3つも手渡してくれて!!
ぶっきらぼうなんだけれど、わたしたちが来ることを、すごく喜んでくれているみたいな感じなんです。
まだビクビクと緊張してしてしまう場面もあるのですが、以前よりも、お互いにリラックスしてきたように感じます。
これはプラユキ師から学んだ「気づきも瞑想」の実践の成果だと思います。
先日、18:30〜の秋葉原で行われた、プラユキ師の「気づきの瞑想に励む会」に、パートナーと参加してきました。
去年の12月から、通算して、4回目の参加です。
今回の「瞑想に励む会」は、一見さんお断りの、すでに「気づきの瞑想」を実践している人のみの会でした。
瞑想と、その体験談をシェアすることに重きがおかれた会で、いくつかの小グループに分かれて、参加者同士、実践して感じたことをシェアし合いました。
・家族の行動にイライラしなくなった。言いたいことはニュートラルな口調で伝えられるようになってきた
・毎日の疲労感が弱まり、子供のようなワクワク感や好奇心が高まった
・朝、すっきり目覚めることができるようになった
・朝の起床時に仕事を思い出すと不安が出たが、今は感情に巻き込まれなくなった
本当にそうなんです。
「気づきの瞑想」をすると、モヤモヤと霧がかった頭の中が、すっきりと霧が晴れていく感覚。
「瞑想のはじまり」には眠そうだった目が、3分、5分、10分と瞑想するうちに、どんどん開いてくる感じがするんです。
まぶたがどんどん軽くなって、瞳がぱぁ〜っと見開いてくるような感じ。
どうして元気になってくるんだろう??
プラユキ師が、「気づきの瞑想をすると、余剰エネルギーっていうのかな?ムダにエネルギーを消耗しないんだよね」とおっしゃったとき、
「あ!だからだ!」と理解できました。
今までは、思考のループに巻き込まれて、妄想が妄想を呼び、止まらなくなって、どんどん膨らんで、不安になってみたり、緊張したり…。
すご〜く心が忙しかった!
一日中、それをやっているものだから、もう心も身体もヘトヘト。
頭が痛くなって、熱も出る。
でも、気づきの瞑想を始めてから、そんな緊張感や、不安はやってくるけれど…。
「あ、手に戻ろう」で、思考のループから距離が置ける状態になりました。
同じグループになってシェアし合った人たちの言葉をお借りすれば、
・朝、通勤で肩がぶつかって「んにゃろう!」と思うんだけど、「あ、これって自分が怒らせていただけだったんだ!」と思うことがある。
・不安になってしまうのは、心のクセだったんだ!と気がつけた。
・まるで、鏡のなかに写っている自分に怒っているような感覚になる。
起きてくる物事を客観的に見られるようになってきたので、無駄な感情や思考のループにおつきあいしなくなります。
すると、心をムダに消耗しなくなります。
消耗しないので、その分、前よりも元気に活動できたり、人それぞれに大切なところにその消耗しなかった分が使えるようになります。
「気づきの瞑想」は、その「消耗しない心」をつちかうための方法だと思う。
「消耗しない」とは、即ち「余計なことで気疲れしない」ということ。
気疲れしにくくなるので、ちょっとだけ相手のことも理解できるだけの余裕もできる。
すると、人間関係が良くなっていく。
そんなふうな変化を、いま、まさに、わたしは父との関係において体験しつつある感じ。
今まで恐怖に感じていたものが、今後の展開が、少し、楽しみにすらなってきました。
まだまだ向き合わなくてはいけないこと、たくさんありそうだけど、
気疲れしない方法を知ったので、人間関係にビビらないでイケる気がする〜!!
売り上げランキング: 1,321
消耗する人生から脱却し、自由になれる一冊。
初めまして。
「無駄にエネルギーを消耗する」って本当にそうだと思います。何か(ちょっとした事でも)ショックを受けた後、1時間、2時間、半日、数日・・・引きずっていたりすると、「エネルギーを無駄に消耗しているわ~~」というのを実感として感じます。
理想は、ショックを受けた次の瞬間には影響が無いようにする事かな。「ショックを受ける」のはしょうがない。でも、その次の瞬間にはもう立ち直っている、エネルギーを一切消耗しない、という風に出来たら理想ですね。「次の瞬間」が無理でもせめて数分以内とか。事と次第によりますが、一時間でも「長すぎる」と感じる事はよくあります。
お父さん、おっかなそうな人ですが、何で敬語なんでしょう・・・相手(それも一番近しい身内である親)に対して敬語で話すというのは、いかにも相手を恐れているという感じですが・・・敬語で話さないと怒鳴られるのでしょうか?私にとっては、親に対して敬語で話すというのはちょっと考えられないのですが。
今度から、普通に話されてはどうでしょう。お互いに敬語で話しているとか、上流階級(?)の慣習としてならともかく、父親に対してそういう話し方をしている限り、恐れはなくならない気がします。
夫さんに対しては多分敬語ではないですよね。もし、自分の夫に対して敬語で話している人がいたら(対して夫の方は妻をお前呼ばわり)「この人は夫をすごく恐れているんだな・・・」と思いませんか。
まず、父親に対してその言葉遣いはやめた方がいいかと。それで怒るようなら、相手がアホなだけです。「親に対して何だその言葉遣いは!」と言われたら、「やかましいわ!何様のつもりじゃこのドアホ!」くらいの事を言ってみるとか。言わなくても内心思ってみるといいと思います。
ラリマー様、はじめまして。
コメントありがとうございます。
父に対して敬語を使ってしまうのは、たしかに恐怖心の表れかも…。
ドキリトとしました。
たまたまリンクを辿ってこの記事を拝見させていただきました。
お父様との関係が変わってきて素晴らしいですね。
敬語に関してですが、いままでの経緯があるので無理やり急に変えるのは困難だと思います。
hinakoさんが“自然に普通に”話せるようになるのが理想だと思いますので、その時がくるのを待つのが良いような気がします。
ここで「言葉遣いを変えなければ」と思い、そこに捉われるとまた妙な恐怖心が起こるような気がしますし、
またお父様も変な気持ちになるかもしれませんので、慎重になったほうがよいと思います。
通りすがりの者の意見ですので、スルーしていただいて結構です・・(^^;
通りすがり様
コメントありがとうございました。
父と向き合っていく中で、自然にやわらかな関係になっていけたらうれしいです。
焦らずゆっくりといこうと思います。