マインドフルネス瞑想の効果 はじめてでも恩恵はすぐに受け取れる

いま、「マインドフルネス(今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れること)」が、多くの人に注目されているみたいです。

それは、先日の夜、パートナーと参加してきた東京の秋葉原で行われたプラユキ師の「気づきの瞑想にはげむ会」に、会社帰りの男性の初参加者が圧倒的に多かったことでも感じ取れました。

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マインドフルネス 瞑想の恩恵は「いつか受け取れる」のではなく「すでに受け取っていた」ことに気がついた!

プラユキ師の瞑想会は、仏教講話+瞑想という流れが多いですが、今回は「気づきの瞑想にはげむ会」ということで、瞑想主体という構成でした。

わたしが参加した瞑想会では、ヴィパッサナー系(気づき系)の瞑想のレクチャー中心でしたが、今回は、サマタ系(集中系)の「プットー瞑想」を教えていただきました。

「気づきの瞑想を生きる」というプラユキ師の著書のp99に紹介されている瞑想方法です。

「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語
プラユキ・ナラテボー
佼成出版社
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今回は平日の夜の瞑想会だったので、お仕事帰りの方々が多く、多分、ほとんどの人が体も心も戦闘モードなっているであろう状態。

「心を鎮めるために少し、サマタ系の瞑想を5分くらいしましょう」とプラユキ師。

姿勢を正して、目を閉じて、息を吸う時「プッ」、息を吐く時に「トー」と心の中で唱えながら呼吸をしていく。

「プットー」はタイ語でブッダの意味。

呼吸のコントロールはせず、呼吸の観察も体の感覚や洞察もすることなく、ただひたすらマントラのように、この「プットー」という言葉に集中していく。

ものすご〜く緊張して心を落ち着けたい時には「サマタ系」、ほぐれたら「ヴィパッサナー系」と、日常のシチュエーションにあわせて使っていくと、さらに効果的なのかも。

その後、いつものようにプラユキ師のお話を聞きつつ、「手動瞑想」「歩行瞑想」と実践。

プラユキ師の瞑想会への参加は、去年の12月、3月の合宿と、そして今回と、トータル3回目なのですが、今日は新しい発見がありました。

以前、プラユキ師の講話の中で、「気づきの瞑想の恩恵は、『いつか』じゃなく、『いますぐに』受け取れるんだよ」というようなことを言われていたことがあったのですが…。

恩恵?なんだろう?何の効果があるんだろう?

わたしの頭では「?(ハテナ)」すぎて、よく理解できませんでした。

「手動瞑想は感覚に集中するわけでもなく、パッパッパッと手の位置確認。どんな思考が湧き上がってもオッケー。

気づいたらパッと手に戻る。その瞬間、さっきまでの思考は離れている(手放している)」

プラユキ師がそう言ったとき、「あ!これが『恩恵』か!」とひらめきました。

手動瞑想をしている最中でも、思考は休まず、次から次へと妄想をつくりだしてくる。

「う〜ん。何だか眠いな。花粉症の薬が効きすぎているのかなぁ」と思考が流れてきて、「あ」と気がついて、「パッ」と手の位置確認をする。

その瞬間、それまでの「花粉症の薬」のトピックは去り、今度は「お腹すいたなぁ」という新しい思考が現れる。

「さっき、食べたばかりじゃん」と思いながら、またパッと手の位置を確認する。

すると、またその思考の内容は消える。

しばらくすると、「そういえば明日の朝食は何にしよう。パン焼いてなかったなぁ」と、考えははじめる。

「あ!」と気がついてまた手に戻る。

その「消えた瞬間」=「手放した状態」であることに気がつきました。

あまりにも次々にネタを変えて思考が浮かんでくるので、「思考が全然手放せない」と思っていたのですが、

ひとつひとつの湧き上がってきた「トピック」は一回一回、手の位置確認をするたびに消えていて、ちゃんとピリオドが打てていたんです!!

そして、手の位置を確認した瞬間だけは「何も考えていないクリアーな状態」なことに気がつきました。

これがマインドフルネスな状態ってやつか?!

湧いてきた思考をそのまま確認して、手の位置確認=今ここ。

この手の位置を確認した瞬間は、プラユキ師の言葉をお借りすれば「気づいている」「覚醒している」「抜苦(苦しみがない)の状態」「悟りの状態」ということなのかな?!

このとき、以前にプラユキ師がおっしゃっていた「気づきの瞑想の恩恵は、『いつか』じゃなく、『いますぐに』受け取れるんだよ」という言葉が頭を横切り、「恩恵」の意味がようやく理解できました。

わたしは「恩恵」というと、なにか「すごく特別な状態やもの」をイメージしていました。

「悟り」とか「覚醒」も同じで、「悟りの境地」とか難しく言うものだから、「凡人には一瞬もたどりつくことができない場所」みたいなものを想像していました。

でも、手動瞑想で、手の位置を確認した瞬間、「いまここ」に居て、「覚醒」していて、「悟って」いて、「抜苦」だったんです。

もう何度も、すでに「恩恵を受け取っていた」んですね!

そういえば、「気づきの瞑想で得た苦しまない生き方」の著者のカンポンさんも、「悟り」とか「解脱」は特別じゃない!って書いておられました。

「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方
カンポン・トーンブンヌム 上田 紀行
佼成出版社
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この書籍は、「気づきの瞑想」の実践者として、とてもわかりやすい言葉で仏教について、瞑想について書かれているので、わたしにはバイブル。

そのカンポンさんが去年の4月、この世を去られる前日にベッドの上で残した言葉。

こちらの本のなかに書かれていたのですが…。

涅槃、解脱、悟りというのはただの言葉。真実は苦しみがないということ

若輩者のわたしが言うのもなんなんですが、この意味が、ほんの少しわかったような気がしました。

この本、Kindle Unlimitedの読み放題で読むことができます。

もう一冊、こちらのカンポンさんの「沖縄での講話」なども収めた、こちらと共に二冊オススメ。

「気づきの瞑想」はいつでもどこでもひとりでもできますが、やはり師のお話を聞きながら実践することは、新しい発見が得られたり、体感できたりするので、大切ですね。

プラユキ師の瞑想合宿に参加してきました(合宿参加の動機)

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