「おお〜!わたし、もしかして肌がキレイになったかも!」と、同じお部屋の女性が洗面所の鏡に映った自分の顔のスッキリさに驚いていました。
「あ、本当だ!スッキリしている」
「これ、内側からかなぁ」と、合宿の成果を目がくっきりと開いているのと肌のツヤで実感した様子。
二人の顔がスッキリして、表情も輝いて、より素敵になっていました。
わたしの頭の中も、なんだかいつもよりサッパリスッキリしている感じ。
合宿3日目、最終日は、そんな和やかな雰囲気でスタートしました。
「気づきの瞑想」の効果
「気づきの瞑想」は「無にならなかったらダメ」とか「雑念はいけない」という、「戦う瞑想」ではない。
雑念も、思考がより中立になるエッセンスとしてとらえ、妄想はまだ真価が発揮されていないイメージとしてとらえるので、「悪」ではない。
妄想も雑念も…なんでもすべて起こってくるもの、湧き上がってくるものはすべて「仲間にしていく」瞑想で、受容、見守りなど慈悲の力をを高めていく瞑想なのです。
目を開けたまま手を動かして瞑想するので、通常の瞑想イメージとは随分違って、最初はビックリすることがすごく多い。
誰かが「目を閉じて無になる瞑想だと、今日は雑念があまり湧かなかったから上手くできた!とか解るのに、『気づきの瞑想』は、それが判断できないから不安になる」と話していたけれど。
確かに、雑念、妄想、なんでもオッケーだし、静かになっていてもオッケーだから、「今日の瞑想は良かった」もないし、「ダメだった」の判断もつけようがない。
すっごく中立。
「目を閉じて静かになれるのもいいけれど、でもさ、目を開けたままいろんな情報が入っきていても心が穏やかでいられるなんて最強じゃない?」とプラユキ師。
それから、想定外のことが起こった時に、すごく『気づきの瞑想』は力を発揮するらしい。
たとえば、想定外のことが起こったら、心に「!」と「?」のマークが同時に浮かぶ。
「!」は感情的なもので、これが発生すると自我を守ろうとして怯えて身体が硬くなりがち。
でも、瞑想が深まると、心が開いて、「へぇ、君はそう感じているんだね」と、今まで自分にはなかった新しい発見として感じられて、その発見が自分の中に組み込まれてゆきます。
もうひとつ、「?」が発生すると、自分を守ろうと「どうして?なんでこうなるの?」と責めるような形になりがち。
でも、瞑想が深まると、「どういう理由があってそう言っているんだろう?」と、その背景に注意を向けれるようになります。
すると相手のことが理解できたりして、人間関係の摩擦が少なくなってきます。
「こうなると、想定外のことが起こっても脅威がなくなるよね」
そして、最後の講話はプラユキ師の「祝福の祈り」で締めくくられました。
瞑想合宿から帰宅したら、すぐに試練が…

久しぶりに家に帰ると…。
我が家の上の階からは子供の泣き声がして、いつも静かな隣の部屋からは、激しい喧嘩の声が聞こえてきました。
我が家はマンションと言っても壁が薄々の賃貸の1LDKなので、シャワーの音とかトイレのペーパーカラカラまわす音とか、ちょっと大きな音を出すとまる聞こえなんです(泣)
しかも、喧嘩は白熱して、男女ふたりの怒鳴り合いがすごいすごい!!
1時間経っても止まらない。
お風呂に入ってサッパリして早く寝ようと思っていたのに…。
「え〜?!なんで、よりによってこんな日に?!」
合宿から帰宅早々に、プラユキ師の今朝の講話にあった「!」と「?」が、我が家にやってきちゃいました。
お風呂に入って出てきても、まだ喧嘩は白熱中。
ガチャンゴトンと物音まで激しくなってきています。
パートナーと「喧嘩、終わらないね」と言いながら手動瞑想をして、ベッドに入りました。
すると、喧嘩の声が止み、カラカラカラカラとトイレットペーパーをまわす音が聞こえました。
トイレ中は喧嘩はしないのね。
なんて思っていたら、またまたトイレから出た直後から喧嘩が再開。
「トイレ中、怒りが収まらなかったのかしら??」
「さぁ、とことん戦いたいんじゃないの?」
「でも、怒鳴ったりするのって、すごく疲れるよね。…でも、わたしも若い時はこのくらいキーキー言ってた!」
「僕はこんなのないなぁ」
「今だと、わたしも怒ること自体が面倒臭いって思っちゃって…。大人になったんだか、ただの怠惰なのか…」
「そうだね。世間でみんなが悩んでいる、たとえば職場の人間関係がどうのとか、仕事の心配とか、離婚とか再婚とか…気がつけば人生半分生きてきたせいか?…そういうのをもうずっと前に越えてきたんだなぁと思った」
「うん。気がつけば、すご〜く昔になっている感じ」
隣の部屋の喧嘩はまだ続いていたけれど、眠たくなってしまったので、眠りに落ちてしまいました。
そして、朝、7時のアラームがなった!と思いきや、再び隣の部屋の喧嘩が再開。
「一晩寝ても、怒りが収まらなかったのかしら?」
寝ている時は喧嘩していなくって、起きたら再開だなんて、まるで「ゴングが鳴ってレスリングの試合再開です!」みたいな感じで、なんだか可笑しい。
もうとっくに、昨日の感情なんてなくなっているはずなんだけどなぁ。
わざわざ昨日の言葉や状況を思い出して、怒りに火をつけて、まるで喧嘩することを楽しんでいるみたい。
「そっか!喧嘩することが楽しいんだ!」
「ジェットコースターに乗りたい!」とか「ホラー映画見てキャーキャー言いたい!」とか、そういうのと同じ感じがしました。
「いつまで続くかね。喧嘩」
「さぁ。出勤時間になれば、静かになるんじゃない?」
「ま、感情は溜め込まずに、ガーッと出しちゃえばスッキリするから、お好きなだけどうぞ、だね」
「気づきの瞑想」の成果なのか?プラユキ師のお話が、本当に帰宅後、すぐに生活で活かせました(笑)。
悩みがある時、一歩踏み出せない時、瞑想していて不安になった時、プラユキ師の瞑想会や面談に参加すると、心の中のモヤモヤが整理できて、プラユキ師独特のユーモアセンスで、自然に問題を見る視点が変化します。
「偉いお坊さま」という雰囲気じゃなくて、まるでお兄さんに相談するかのような雰囲気。
これからも「気づきの瞑想」に励んで、丁寧に暮らしを作ってゆきたいし、品のある女性になっていきたいなぁ、と思います。
プラユキ師や合宿の主催者の田中智さんの品の良さに少しでも近づきたいな。
合宿でご一緒した皆さん、本当にありがとうございました。
楽しくって、実りが多い、とてもいい合宿でした。