プラユキ師瞑想合宿 気づきの食事と歩行瞑想(合宿2日目)

合宿2日目は朝5時に起床。

5時30分に大広間に集合し、30分の合同瞑想のあと、60分の仏教講話。

7時から朝食。

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食事も仏教修行の大切な時間


プラユキ師が副住職をされているタイのスカトー寺では、「非時食戒」と言って、僧侶は午後の食事は取ってはならないと戒律で決められていて、食事は1日に1食か2食なのだそうです。

わたしたちの瞑想合宿では3食食事が用意されましたが、戒律通り、プラユキ師は夕食は取られませんでした。

そして、食事はとても大切な修行の時間とされています。

通常の食事のように話しながら食べるのではなく、ひとりひとりが無言で食と向き合うのです。

合宿中、プラユキ師と一緒にいただける朝食と昼食は、手の運びなどに注意を向けて、ひと口ひと口丁寧に味わいながら食べました。

食べ物との出会いも一期一会。

宿坊での朝食は、味噌汁、卵、納豆、豆腐、のりなどの和風の食事。

1日の食事を通して、魚や貝、エビは出ましたが、お肉は出ません。

コーヒーや紅茶などの嗜好品もありません。ケーキやおまんじゅうなどのおやつもないです。

ですが、夕食時には食後のデザートにいちごやりんごといった果物がついてきました。

ボリュームはわたし的には食べきれないくらいで、大変バラエティーに富んだお膳でした。

この一回のお食事を、料理の色、香り、食感、味、舌の動き…などなどに意識を向けることで、食事も「気づきの瞑想」と同じように「気づき」を保ちながらのいただくことができるのです。

実際に、「いつも」と違う食事のしかたに、「今まではおかずの味が消えないうちにご飯を口に詰め込んでいたと気がついた」とか「今日は料理の器に目がいき、きれいだなぁと感じました」という感想を話していらしたかたもありました。

わたしは、大抵「外食」というと、ブログにアップするために、お料理をいただく前にパチリパチリとiPhoneで写真を撮っていたりします。

それがこの食事時だけでなく、合宿中はまったく写真を撮ることがなかったので、それだけでも時間とか心の余裕とかのスペースが空いたような気がしました。(今回の記事中の写真は合宿の前後に撮ったものを使っています)

そして、ゆっくりと食事をいただくと、本当に少しの量でお腹が満足するんですね。

「あれ?いつもほどの量は食べられないなぁ」という感じで、これを続けると、「ほとんど食べない人」になれるんじゃないの?!と思いました。

そして、気づきながら食事をしていると、素材そのものの味がだんだんにわかってきて、華美な味付けや趣向を凝らした盛り付けをしなくても、シンプルに素材そのものの味を楽しめるようになるそうです。

そして、食事だけでなく心も同様に、起こってくる出来事そのものを観れるようになり、悲劇のお姫様ストーリーとか渡る世間は鬼ばかりストーリーとか、「おしん」ストーリーとか…。

今まで起こってくる出来事にくっつけていた過激でドラマチックなストーリーは必要なくなり、すごくシンプルに、出来事そのものだけでも十分に楽しめるようになるのです。

主観どっぷりじゃなく、ありのままを観るとこができる。

それができたら、もうドラマに振り回されたりすることもなくなってきます。

「気づきの瞑想」は、その力をエクササイズして育てているんです。

美味しく朝食をいただいたあとは200分の仏教講話。

仏教というと、「わたし信者じゃないし、理解力無いから小難しいことはわからない」と、なんとなく遠巻きで見る感じだったのですが、プラユキ師の話される仏教講話はものすごくわかりやすい!

それまで、仏教というのは「あれをしてはいけない。これをしてはいけない」と戒律だけで、かたっ苦しいものだと思っていました。

でも、仏教って、悩みや苦しみからどのような過程を経て、どのような心の対処をしながら平穏に向かっていくのか?が説かれたものだったんですね。

ブッダ、すごい!

パートナーのブッダ好きもちょっと理解できるようになりました(笑)

そして仏教講話が終わり、昼食後、長尾平まで歩行瞑想。

歩行瞑想がプレゼントしてくれた幸せな時間

「気づきの瞑想」の基本は、心の姿勢が一番大切。

緊張しない。オープンハートでオープンエンド(ラストシーンを設定しない)で、湧き上がってくるもの出会ったものにすべてオッケー。

「湧き上がってきたもの、出会ってきたもの、これもすべてご縁なのだから信頼していこうね」とプラユキ師。

そして始まった歩行瞑想。

列を作って歩きながらも歩行瞑想。長尾平についてからもそれぞれ好きな場所を歩いて歩行瞑想。

御岳山という大自然に囲まれての瞑想はとても気持ちが良かった。

いつもはアスファルトを「電車に乗るまで」とか歩行瞑想しているけれど、御嶽山では、もしかしたら雪が溶けたばかりなのか?ぐちゃぐちゃになった土だったり、ふさふさの枯れ草だったり、枯葉がどっさり落ちた道だったりと変化に富んでいる。

ひと足ひと足注意を向けながら、そんな自然いっぱいの道を歩く。

一歩踏みしめるとガサッ。もう一歩踏みしめるとガサッと、枯葉が砕ける音が繰り返されるうち、なんだかどんどん楽しくなってきました。

ガサッ、ガサッ、ガサッ、ガサッ、ガサガサガサガサガサガサッガサッ。

単純なことなのに、なんだかすごく面白くなってきて、キレイに落ち葉がなくなっている道の真ん中じゃなくて、わざわざ枯葉の落ちている横の方に行ってガサッ、ガサッと音を立てて歩いたりして。

ガサッ、ガサッ、ガサガサガサガサガサガサッガサッ。

おもしろ〜い!!

ガサッ、ガサガサガサガサガサガサッガサッ…。

もうなんだか可笑しくなってきて笑いそうになってくる。

ひとりで歩いているだけなのに、すごい笑顔!

やぁ、どうしよう。笑っちゃう。

ガサッ、ガサッ、ガサッ、ガサッ。

楽しすぎてしょうがない。

ガサガサガサガサガサガサッガサッ。

面白くて、どんどん早歩きになっちゃう。

あ〜、可笑しすぎる。

笑いをこらえて歩いている自分の姿を人が見たところを想像してみたら、「キモい人」になっていて、こみ上げてくる笑いを我慢できなくなってきた。

は〜あ!

一度大きく息を吸って、草の上に座り込む。

枯葉の音はなくなり、シーンと一瞬、静寂に。

やがて、登山客の声が聞こえてきたりして、座った足元の草のフカフカな気持ちよさとか日差しの眩しさを感じました。

その時、いままで「瞑想=真面目にやらなきゃ!」みたいな公式がわたしの中にあって、どこか力が抜けていない感じがしていたのですが、今、スウ〜っと抜けた感じ。

呼吸も自然、肩もストンと落ちて、身体がとてもラクになった。

そっか!これからはニッコリと微笑んで瞑想しよう。

瞑想するのがちょっと楽しくなってきました。

この歩行瞑想でのことを合宿最後のひとりひとり感想を言う場面でシェアした時、プラユキ師が「Doの喜び」と「Beの喜び」というお話をしてくださいました。

Doの喜びは、何か目標を達成したり、成功した時の喜び。

それに対して、Beの喜びは、向こうから喜びが来るという感じ。

わたしが歩行瞑想で感じたのは「Beの喜び」で、日常の本当に何でもないものから訪れる喜びで、「気づきの瞑想」が深まると、どんどんこういう「Beの喜び」に出会うことが増えていくのだそうです。

なんだかエレガントに瞑想ができそうな気持ちで、ワクワクしてきました。

いよいよ明日は合宿最終日。

プラユキ師の最終講話が楽しみです。

プラユキ師瞑想合宿 合宿のまとめ(合宿最終日)

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2 件のコメント

  • 通りすがりですが… わぁ、すごく楽しそうですね!葉っぱのガサガサでそんなに楽しくなったんですね。わたしも、パートナーがブッダ大好きで、理解したくていろいろ見ていてプラユキさんを知ったんです。興味深い記事をありがとうございます!

    • ビンカさん。コメントありがとうございます。
      我が家もパートナーがブッダ好きで、プラユキさんの瞑想会に誘われて行ったのが、合宿のきっかけでした。
      パートナーの影響を受けて、それが新しい習慣や価値観や発見につながるのって、結構面白いですよ。
      楽しみですね。