土地所有権移転登記!家を建てる土地を手に入れたよ

工務店に行った次の日は、土地の引渡し(わたしたちは受け取り)の日でした。

岐阜の銀行に、土地の売主さんと買主であるわたしたちと仲介してくださった不動産屋さんと、土地の所有権移転の手続きをしてくださる司法書士さんが集合。

そんな朝、ひいたタロットカードは「ディスクの6」

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遂にわたしたちが自由に使える土地を手に入れたよ!

このカードを見た瞬間、笑ってしまった。

まさに「土地の代金清算をしています」といった感じ(笑)

真ん中が不動産屋さんで、右が売主さんで、左のディスク(コイン)に手を伸ばしているのがわたし。

それぞれ売主さんもわたしも不動産屋さんもそれぞれに平等に分配されているコイン。

この絵を見ると、改めて、売買って「同じ価値あるもの同士の物々交換なんだ!」と思いました。

13時。指定の銀行に到着。

指定と言っても、実はわたしが指定した銀行だったりする。

岐阜の有力銀行と言えば十六銀行とか大垣共立銀行だとか…なのだが、あいにく関東圏に住んでいるわたしは、都市銀行の口座しか持っていない。

こういう土地やマンションを売買する時は、まだほとんどがリアルにアナログに書類を書いて、「立会い」で金銭をやり取りするため、ネット銀行は使えなかったりする。

なので、岐阜に支店がある都市銀行を選んで、集まったのです。

司法書士さんも土地の売主さんも、同時に銀行の入り口をくぐり、銀行内で待っていてくださった不動産屋さんにお互いを紹介され、ご挨拶。

あいにく誰もそこの銀行と付き合いがなかったため、お部屋が用意していただけなく…、みんなで立ったまま手続きを行うことに(汗)

重いコートやらリュックやらを待合の座席に置いて、数枚の振込み用紙&引き出し用紙に金額と名前を書いて、銀行印をペタペタ押す。

重いコートやら大きなカバンを抱えたまま所在無げに立って待つ、売主さんと司法書士さん。

それが終わったら、不動産屋さんに連れられて、用紙を窓口に渡し、本人確認の免許証を出し、処理されるまでしばし待つことに。

その間に、「お部屋を使っていいですよ」と銀行さんが言ってくださり、ありがたく、お部屋を使えることに!(やったー!)

小さなデスク置いてある小部屋で、売主さん司法書士さん不動産屋さんと共に待つ。

そんな中で、「これも縁なんですかね。この1週間(わたしたちが契約を申込んだ1週間)はとても不思議な1週間だったんですよ」と売主さん。

「いえね。わたしがこの土地を売り渋っていたのと金額が高かったのもあるのですが、ずっとこの土地、買い手が現れなくて」

わたしたちが今回購入した土地は、もともとはひとつの田んぼで、3年前に現在の売主さんが買われて、その後、4つに分割されて、1~4までの番号の振られて売られていました。

整地して2年前に売りに出されたのですが、わたしたちが購入した南東の道路に面した土地は他の土地よりも価格が130万円ほど高く、売主さんが建築会社を経営していらっしゃるために、「自分のところで建てたい!」と建築条件を設けていました。

でも、なかなか売れず、建築条件を1から順番に外していくと、即、買い手がついて…の繰り返しで、1〜3までの土地は去年までに売れて、現在はすでに、すべての土地に家が建っています。

売主さんは最後の最後まで、わたしたちが今回購入した南東の角地だけはどうしても自分たちで家を建てたいと望んでいらして、建築条件を外したくなかった。

でも、さすがに正月明けて売り出してから3年目ともなるので、価格を下げて、泣く泣く「建築条件」を外しました。

すると、問い合わせが不動産屋さんに何件か入り、実は売主さんに直接「売ってください」という人も2人現れたそうです。

でも、売主さんに「売ってください」と言ってきた2人の人は「さらにもう少し値引きを」と値引き交渉をしてきていました。

売主さんは「ずっと売れなかったし…。でも、温めてきたこの土地をあまり安くはしたくない。どうしよう」と考えていたところに、わたしたちが不動産屋さんを通して「そのままの値段で現金で購入したい」と申込んで。

それで、「じゃ、その人(わたしたち)で話を進めてください」と決意されたそうです。

わたしが土地を見学したあの日、散々グーグルマップで見ていたせいか、まだ購入してもいない土地なのに「初めて見たような気がしなかった」し、そこから金華山が見えて、「あ、ここ、わたしの場所だ!」と確信したので、「他にもいいものがあるかも」という迷いがまったく生じませんでした。

あとは、「買います!」というのをどのタイミングで言おうか?と思っていたのですが、父もパートナーも写真を撮ったり、近所を見に行ったりして、ポツンと不動産屋さんとわたしとが取り残されて…。

あまりの沈黙に「ここ、買います!」と早く言わなきゃ…と口にしてしまったこと。

不動産屋さんから「この土地がどうして今まで売れなかったのか?」を事前に質問して聞いていたので、本当はもっと安く購入できたら嬉しかったのだけれども、なんだか「値切り交渉する気分になれなかった」ということが、どうやら良い方向に作用したようです。

土地探し4〜晴れて土地見学〜

「こういうのは、ホント、縁なんですね」と、売主さん。

そんな話をしていると、わたしの通帳から土地代金、下水道引込工事負担金、不動産仲介手数料、印紙代などの振込みや支払いの処理が終わり、通帳が手渡されました。

もうすっかり残金が無い通帳だけど、不思議な満足感がありました。

領収書を受け取り。

司法書士さんに登記の手続きの委任状を書いて、登記したものは10日後くらいに郵送されてくるとのこと。

売主さんは「月に数回東京に行きますので、家を建てるのも是非ご相談ください」と言って、土地への最後の愛着を伺わせていました。

そして、土地の受渡の日の前日まで行っていたという、北海道のお土産のチョコレートをくださいました。

「良い土地を譲っていただきまして、本当にありがとうございました」とパートナー。

すべてがとても穏やかでスピーディーに終わりました。

この土地が買えたのも亡くなった母のおかげ。

もしかしたら、わたしが岐阜に移り住むのが、母の密かな願いだったのかもしれない。

生前、一時期はアパートすらも借りられない状況だったわたしたち夫婦のことをかなり心配して、さらに、そんなわたしたちが数年後、ふたりでローンを組んでマンションを購入したことについても、「もう驚かせるようなことはしないで!」と言っていた母。

わたしたちが会社にも行かないで、遠くでどうやって暮らしているのか?きっと、心配で心配でしかたがなかったのだと思う。

父と母はわたしを「親不孝娘」と言っていました。

そんな母が亡くなり、「住宅ローン返済にわたしからのお金を充てるように」と遺言。

でも、その一年後にパートナーの仕事に伴って、マンションを売ることを決意して。

マンションよりもコンパクトな一軒家にこれからは住んでみたい!と思い。

移住するなら、美しい海のある沖縄とかがいいなぁ…とか思っていたのに、まさか、生まれ故郷の岐阜を選ぶだなんて!!

離婚したのを機に、色々な「しがらみ」から解放されたくて脱出した場所のはずなのに、自分の意志で土地を購入して戻ることになるだなんて、思いもよらなかった。

でも、十何年も経つと周りの景色がまったく変わってしまっていました。

「しがらみ」だった人たちがこの地を去り、自分の祖母も母も亡くなって、「脱出したかった頃」の景色はほんのわずかしか残っていない。

わたしが岐阜で過ごしていたことも、大変だったことも辛かったことも「記憶の中」の出来事で、本当だったのかどうか?もう定かでない。

なのに、その頃の「古い記憶」をいつまでも「昨日の出来事」のように思い出して、気分を落ち込ませているのも、なんだか可笑しな気がした。

さらにもう10年もすれば、さらにもう跡形もないくらい、「あの頃」の景色は消え去るだろう。

もうこの辺で、岐阜と仲直りしてもいい時期なのかもしれないし、放浪の親不孝娘にピリオドを打ってもいいのかもしれないと思いました。

なんだかすべては母の企みなのではないか?というくらいピッタリとハマっている不思議。

ついでに言えば、母のお墓はわたしの購入した土地からまっすぐ長良川という大きな川を挟んで延長上の一山超えた向こう側にある。

「母に一本取られた〜!!」

そんな不思議な気分だ。

これはわたしの勝手な空想なのかもしれないけれど、不思議な充足感と安堵感を感じました。

数日後、司法書士さんから書留で大きな封筒が送られてきました。

「登録識別情報通知書」なるA4サイズのもの。

平成17年3月7日に施行された新不動産登記法により、今までの「土地権利証」に代わるものだそうです。

生まれてはじめて「土地」を所有することになりました。

夢の「平屋の一軒家」に向けて、ようやくスタートラインに立てたようで、すごくうれしい。

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