マンションを無事に売却して、不動産名義を変えることを完了して、ひと段落。
さぁ、次は「かわいい平屋の一軒家を建てる」夢を実現!!…と言いたいところだけど…、最近「終の住処」についていろいろと考えさせられることが多くなった。
終の住処はどこにする?沖縄で質素に暮らす?
「家」という所有物がなくなったことで、それに関する固定資産税、管理費、修繕費などの支払いがなくなったことや、「これからどこへでも自由に行って、住みたいところで数年住む!ということも可能なんだ!」という開放感を感じる。
その反面、「家」という人生でも最も大きな安心感を失って、「これから歳を重ねれば重ねるほど借りられなくなるかもしれない。どのタイミングで家を持つのか?取得することはできるのか?」という不安も大きい。
以前、住んでいたマンションは3LDK(80平米)という広さは、娘が一緒に暮らしていた頃はちょうど良かった。
でも、娘が独立して、わたしとパートナーふたりが住むには、部屋が余ってしまっていました。
ポカンと空いた部屋を何に使うか?と言えば、わたしたちの両親の暮らしをみれば、それは明白。
リビングには物が溢れて、家具や物が迫ってきている空間で、こたつやソファーを置いて、”寝る”以外の生活のすべてがその一部屋で完結している。
なのに、かつて子供部屋だった部屋が余っているため、子供の小さい頃からの教科書や参考書、趣味の道具、購入した本、「まだ破れていないからいつか着るかも」などと言いつつ、古い衣類などが所狭しと並べられられている。
挙げ句の果てに、夫婦の旅行などで思わず購入してしまった「記念」という名の、木彫りの熊やなんとか焼きの皿などが、数回お目見えしただけで、積み重ねられて忘れ去られてしまっている。
見栄えはいいけれど、山のような不用品がキレイに整理整頓された”ゴミ屋敷”なのだ。
部屋数や部屋の広さは、あればあるだけ、どうやらそれに比例して物が増えていくようだ。
先日、パートナーが、知り合い伝いで1億6000万円の豪邸に住む女性の家の整理に加勢することになりました。
女性はこの大きなお屋敷を「終の住処」にするつもりで、素晴らしい家、素晴らしい家具、素晴らしい照明…と、どの品も”一生使うつもり”で良いもの購入したそうです。
でも、一年前に突然、朝、ベッドから動けなくなった。
それを機に、「ホテルのようなマンションタイプの老人ホーム」に移り住むことを決め、今回の”家の整理”になったのです。
「これから住むところにはとてもじゃないけれど、入らないわ。欲しいものがあったら、何でももっていって!」とおっしゃるのですが、あいにく豪華な家具は庶民の部屋には不似合いで…。
結局、「一生もの」は、まるごと一軒分、すべてゴミになってしまったのです。
その話を聞いていると、「家ってなんだろう?」とも感じるし、「物はそれほど必要ではないな」という気がしました。
そして、最近は「家族に迷惑をかけないように、終の住処として老人ホームに入る」という選択をされるかたが、この女性をはじめ、多い気がします。

「終の住処」。
わたしも50歳を超えたので、嫌でもそのことを考えます。
いつかひとりで動けなくなる日がくるんじゃないか。
いや、でも学校生活だって大変だったのに、老人ホームという四六時中集団生活をするだなんて、絶対に無理。
そもそも「医療」は絶対必要なのだろうか?
すべての老人に介護が必要とは言えないだろうし…。
そして、できれば病気になったとしても手術など受けたくないし、死ぬ最期の瞬間までできれば家にいたい。
でも、身近に娘たちがいると、具合が悪くなれば心配もするだろう。
「ああなったらこうなったら」と、ひとつの不安が生まれると、連鎖的に、どんどん不安が生まれてゆく。
「気温の高い沖縄に移住して、自然の中でアシュラムみたいな生活を送りたい」とパートナー。
「人と距離を取って、静かな生活がしたい。必要最低限度のもので、人から見れば、”毎日同じように見える生活”に「違い」を見出し、幸せを毎日感じられるような暮らしがしたい!」と。
幸いにも、今回の引越しで断捨離した結果、1LDK(43平米)までダウンサイジングできた。
今後、お部屋のスペースを大きくすることなく、さらに不必要な物を見極めて減らしていけば、小さな部屋で住むことが可能になる。
食事も若い頃に比べて、肉、魚も欲しなくなった。
さらに小食になれそうな気配だ。
さらに、「年のせい」と言われてしまえばそれまでだが、あまりオシャレに身が入らなくなってきたし、総合的に「人生で必要な物」は少なくなる傾向にある。
このままいけば、かなり身軽になれそう。
せっかく固定された場所に住む必要がなくなったのだから、もしかしたら、数年ごとにあちこちにプチ移住して、その結果、「終の住処」を決めてもいいのかもしれない。
「どこに住もうか?」とパートナー。
今はまだわからない。
でも、今回、この場所に引っ越してきたのだって、「ご縁」があって来れたのだし、今までの引越しも、全部何らかの「ご縁」で移動した。
だったら、どこかの土地が呼んでくれるのを待てばいいんじゃないのかな?
何年か後、きっと、私たちにふさわしい「終の住処はみつかる」と、心配しないでおくことにしました。